tomodachi作戦
仙台転勤2ヶ月後、東日本大震災が起こった。
当日は、小雪の舞う寒い日。
地震は、次男の下痢と発熱で病院に向かう準備中に発生。
すぐ収まると思って、しばらく机の下に長男・次男と潜る。
なかなか収まらない。
長男「なんで揺れてるの?」
私 「お家さんもバスに乗りたかったのかな?」
長男「どうやって乗ったの?」
私 「ねぇ・・・。」
「バスにのって出掛けようゴーゴー♪」
長男「まだ?」
揺れの無い時を見計らって、車に移動。
小児科に行くも既に閉院。
帰宅するも、停電でファンヒーター、空調も使えず。
しばらく、車の中で暖を採る。
車中で子供が寝たので、家に戻り布団を敷いた。
お隣さんが声を掛けてくれる。
「何かあったら、助け合おうね!何かいる?大丈夫?」
「はい!ありがとうございます!」と私。
車内に戻り、ワンセグで、津波が来てる事を知る。
バッテリーが怪しい。
お隣さんが、声をかけてくれる。
「何かあったら、声掛けてね。お父さんは?」
「まだ、連絡なしです(笑)。ありがとうございます。電気、いつ復活しますかね・・・。」
「電柱傾いてるし、信号の線も切れてる。暫く厳しいよ・・・。」
お隣さんが去ったあと、ふと横を見ると
ブルーシートを敷いた上に、家族で毛布を被る人たち。
現実に気づき始める私。
部屋が冷えきる前に、帰宅、即布団の中へ。
懐中電灯は、着けた瞬間切れるコント状態。
残り少ない、携帯電話で、灯りを採る。
今日は、買い物してから帰宅する予定の夫。
連絡とれず、帰宅せず。
冷蔵庫に残ってるのは、生卵、牛乳。
ほぼ空っぽ。
揺れも続く。
長男にあげれるのは、「ぱりんこ」と牛乳。
次男は、38.5℃。喉もいたいらしく、ひたすら授乳。
夜中、無事夫帰宅。
次の日は、朝からライフラインの確認と、買い物。
スーパーに並んでも、商品5点制限。
- 我が家は、プロパンでガスで、タンクにはそこそこあるとの事。
(ご近所さんとの話し合いで、料理のみに使用する事に。)
(我が家には、主人が卓上コンロを使用。)
(道を挟んで隣の一軒家さんは、都市ガスで、復旧に2ヶ月かかる。)
- 水道は、無事。
(隣の町内は、断水。)
- 電気は、3日後に復活。
(ファンヒーターは、灯油節約で日没後のみ。)
- 小児科
(先生は、地震直後から数日間居留守。引越を後悔した(泣)。)
(後日、隣町の若い皮膚科先生が、毎日深夜まで、精神疾患、小児 科、循環器・・・等、多種多様な患者さんを受け入れてたことを知 る。)
お隣さんは、今日も声を掛けてくれる。
次男が下痢と知れば、布おむつをくれたり、
情報が無いと不安だろうと、号外の新聞を毎日見せてくれたり。
実家が農家らしく、聞いた事もない名前のじゃがいもをくれたり。
(衝撃的に美味しい。ビックリした!北海道に帰りたくなった。)
電気、プロパンガスが来てからは、手作りパン、クッキー等のお裾分けは、出来たけど。
持っていくと、いつも嬉しい事を言ってくれる。
「持つべき物は、友達だね!」
大人になってから、三人目の友達が出来た。
その後、手作りの
紫蘇ジュース、ジンジャーシロップ、
ステキな事をたくさん教わりました。
3/11は、お隣さんの誕生日。<バースデーメール>
「お誕生日おめでとう!」
「いやいや、こちらこそ、私の誕生日に生きててくれてありがとう!だよ~♪
今年も一緒に頑張ろうね!」
大阪から北海道。
遠く離れても、玄関開ければ、
「なした~?」
って、聴こえそう。